うちの実家は鰻屋だ。それを初めて会った人に言うと、「羨ましい」と言われるけれど、私は鰻屋の娘に生まれてよかったと思ったことなんて一度もない。なぜなら私は鰻が嫌いだからだ。それでもお店で鰻が余った日には否応なく食卓には鰻が上ることになる。家族がひつまぶしを堪能しているとき、私はだしだけをご飯にかけて食べていた。鰻人気がなくなったら、うちの店が潰れる前に私が栄養失調で倒れてしまっていたんだろう。
小さい頃に「何で鰻屋なんてやってるんだ」と両親に抗議したことがある。鰻なんかじゃなく、ベーカリーでもケーキ屋でも、何でもよかったじゃないの。どうしてよりによって、私の嫌いな鰻で生活しなくてはならないのかと詰め寄ったところ、「鰻屋の子どもに生まれてきたのはお前の方だ」とけんもほろろに言い返されてしまった。呆気なすぎる返り討ちである。
確かにうちは創業100年を超える、一応歴史ある店ではある。秘伝のタレは毎日継ぎ足しているし、地元のタウン誌が取材に来たことも何度もある。もし私が一人っ子なら、鰻が嫌いだろうか何だろうがイヤでも継がないといけないのかもしれないけれど、幸い鰻の大好きな妹がいるので、その辺は妹にお任せしようと、私は実家を出て自由を満喫しているところだ。
ところで、そんな自営業を営む実家には古い金庫がある。だけど私は金庫の番号を知らないし、中身を見たこともない。何でも土地や店の重要な書類や、通帳類が入っているそうだが、店を継ぐ気のない私はきっと一生中を見ることはないんだろう。鰻の皮のように黒光りするそれを見るたび、背中にブルブルっと悪寒が走る私にはとてもじゃないけれど、鰻屋も金庫も継げそうにはない。